
石川テレビニュース
ISHIKAWA TV NEWS
石川県内ニュース
家族と親戚10人亡くす…能登半島地震から2年 元日に現場の跡地を訪れた遺族の想い「慰霊碑を建てたい」
能登半島地震による土砂崩れで家族と親戚あわせて10人を亡くした遺族の寺本直之さん。地震から2年の節目を迎えた元日、寺本さんは穴水町の現場を訪れ花を手向けました。
寺本直之さん:
「お前らずっと空でみてるのか。お父さんきたよ」
寺本直之さん。
2024年の元日、妻・弘美さんの実家がある穴水町由比ケ丘では地震による大規模な土砂崩れが発生。帰省していた妻・弘美さん、長男・琉聖さん次男・駿希さん、三男・京弥さん長女・美緒寧さん、さらに、妻の両親、義弟夫婦とその子ども、あわせて10人が犠牲になりました。
寺本さんは元日、金沢での仕事を終えてから穴水へ向かい、家族と正月を過ごす予定でしたが、叶うことはありませんでした。
当時の寺本さん:
「何なんですかこれ。なんで私がこんなことにならないといけないのかなって。それも1日違いで。生と死との境界線って何なんですかね。それはこの地震が悪いんですかね。地震がみんなを奪ったんですかね。」
寺本さんは地震の後すぐに、妻や子どもたちと暮らしていた家から引っ越し今は金沢市内の実家で妹と生活しています。
寺本さん:
「ここで寝ているんですけど、みんな全部遺品です。」
家族との写真や息子が身に着けていた時計。家族で暮らした家に残っていたものです。
寺本さん:
「こうやってかかっていて。あっち(前の家)で。冬休みで着ることないから普段通りにかかっているでしょ。これを袖通すことはないんだなって思ったときに感情がバーッと出てくる涙が出てくるというか。」
地震の後、寺本さんを待っていたのは。
寺本さん:
「通夜、葬儀から全部のスケジュール」
葬儀の手続きや行政への届け出。悲しむ間もない現実です。
寺本さん:
「悲しいけれども私は(亡くなった家族が)友人とかに見届けてもらった状態で天国にいけるんであれば、私は幸せかなと。悲しんでいる暇なんて全然ないし、これをしなかったらこれは残されたおれの仕事かなというか。」
妻や息子の勤務先や娘が通った学校を訪ね、一つずつ手続きを進めていきました。
寺本さん:
「仕事の様子を聞けたり息子の職場でも同じようなことを聞けたり、学校でも娘に関しても学校での様子とかそんなのを聞いていくことで、少し気持ちが晴れてくるという部分があったのかもしれない。」
2025年の元日は気持ちの整理ができず、花を手向けることができなかったという寺本さん。
寺本さん:
「安らかにこの場で、この地でいてほしいなという気持ちで花を手向けさせてもらった。」
全壊した家は2025年9月に公費解体を終えました。
寺本さん:
「家のまわりや風景、結婚した当時よく行ったし、そういうことを思うと苦しいよね。無くなっていくというのは穴水のことを話すと涙が出る。」
寺本さんはここに家族や親族の生きた証を残したいと考えています。
寺本さん:
「やっぱり慰霊碑を建てたい。あそこで(家族が)亡くなっているというのを私も見ているし。だから無くしてほしくない。あの場所を、妻の実家があった過去を無くして欲しくない。だから形的に残したい。」
大切な命を奪った大地震。寺本さんは今、その重い現実から目を背けずに日々を生きています。