
【放送】2025年3月1日 (土) 午後3時~
至る所で家屋が倒壊。土砂崩れや道路の崩落で、通行できない場所も…。
奥能登・珠洲市正院町が大きな地震に見舞われるのは、ここ数年で三度目。極めつけが2024年元日の能登半島地震だった。
壊滅的な被害を受けた町の一角にクルクルと営業を知らせる理容室のサインポールが回っていた。それは、「日常」を取り戻すという決意の表れだった。店主は、正院町で約100年続く理容室の4代目、瓶子 明人(へいし あきひと)さん(42)。
避難所で「髪を切りたい」という被災者の声を聞いて、能登半島地震の発生から2週間で店を開けた。瓶子さんは、地震発生直後に消防団員として不眠不休で救助活動に当たった。団員たちも被災し、活動できる人数も機材も限られる中で、救えなかった命がたくさんあった。
その辛い経験があったからこそ、なおさら、「日常」の尊さを感じた。
クルクルと回るサインポールに誘われて、常連客がやってくる。非日常が広がる町中で、店内だけは、震災前と変わらない。多少の不便は、笑い飛ばしてやり過ごす。瓶子さん自作のシャワーから出る温かい湯に歓声をあげる男性、ビニールハウスも我が家だと話す人、最近始まった給食に苦手な野菜が入って困るという小学生…。
町の風景が変わっても、できることを一つずつ。瓶子さんの母・睦子さんも同級生と共に避難所の運営のボランティア。隣近所の人の関わりを絶やさない、能登の人達が一番の楽しみにしている祭りを実施。瓶子さん達はこの一年、できることを模索し続けた。
震災後の1年で珠洲市の人口は1割減った。公費解体も進み、更地が目立ち始めた。
9月21日には奥能登豪雨が発生し、珠洲市正院も大きな被害を受けた。それでも、能登の人達の優しさと、たくましさは変わらない。
未曽有の震災に見舞われようとも暮らしたい場所は「やっぱり故郷の正院なんです」
そう、「正院になけんな(正院でないと)」と話すのだった。