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災害関連死含む19人犠牲に…奥能登豪雨から1年 亡き姉にしたためた“天国への手紙”「見守っとってね」
能登半島地震の被災地を襲い19人が犠牲となった奥能登豪雨から21日で1年。
被災地は鎮魂の祈りに包まれました。
去年9月21日に発生した奥能登豪雨。能登に線状降水帯が発生し各地で浸水や土砂崩れが相次ぎました。
輪島市と珠洲市、能登町で災害関連死を含む19人が犠牲に。21日は各地で鎮魂の祈りが捧げられました。
輪島市町野町では、豪雨の犠牲となった中山美紀さんの両親と、弟・真さんが黙とうを捧げました。
父・中山勇人さん:
「一年が来てしまったのかな。出来れば普通に迎えたかった所なんやけど…」
「なぜ?どうしていなくなった?今でも思っています。あの日無事に帰ってきてくれれば、こんな思いをしなくてよかったのかなと…」
「まあ、起こってしまったことはしょうがないし、生き残った自分たちがしっかり前を向いて歩いていくしかないなって感じですね。」
一方、真さんは…
稲垣アナウンサー:
「輪島市町野町の臨時災害放送局まちのラジオです。去年9月21日の奥能登豪雨から1年を機に、これから特別放送が行われます。」
まちのラジオ:
「令和7年9月21日を迎えました。押し寄せた水に流される形で16人の方が、またこの豪雨が原因でその後に関連死と認定した方を含めると19名の方が犠牲になりました。」
現在まちのラジオでパーソナリティーを務める真さん。去年の豪雨を経験した地元の人々に当時の経験を聞き、将来の町野の姿を語り合う特別番組に出演しました。
番組の最後に…
真さん:
「実は手紙を書いてきました。僕の姉への手紙を書いてきました。読んでいきたいと思います。」
「僕の姉、美紀へ。今日9月21日で奥能登豪雨から1年が経ちました。そして僕の姉の命日です。」
いつか姉のことをラジオで語りたいと話していた真さん。美紀さんに届くよう一言一言、言葉を紡ぎます。
真さん:
「休みが合えば必ずと言ってもいいくらい一緒に映画を見に行ったこと。僕が落ち込んだ時に寄り添ってくれて背中を押してくれたこと…」
「本当に、本当に、31年間一緒にいてくれてありがとう。空の上から見守っとってね、よろしく。」
真さん:
「空から見ている姉のことを思って、向き合って話しました。」
稲垣アナ:
「お姉さん聞いてくれてましたかね?」
真さん:
「はい、必ず聞いてくれていると思います。姉に負けないような明るさをもって生きていきたいと思っています。」
珠洲市真浦町にあるホテル海楽荘の池田真里子さん。
池田真里子さん:
「いっぱい来たよって(夫に伝えた)。いつも1人でいるけどいっぱい人来て楽しかったやろ。にぎやかなのが好きやさかい。」
夫、幸雄さんは奥能登豪雨で濁流にのまれ亡くなりました。
池田真里子さん:
「あっという間のような1年でもあったし、まだ1年かっていう気持ちもあるし。」
「なんにも先に進んでいないから、これからどうなるかっていうのはあるし。いろいろ考えていると1年、長いようで短いようで。」
豪雨から1年を迎えた21日、池田さんの元にあるものが届きました。
ボランティアが洗浄した家族の写真です。
池田真里子さん:
「写真はわたしいっぱい撮っていたから腐るほど置いていた。」
「若い時やね、若い時はもうちょっと細かった。お父さんも若いもん。ビール持っとるやろ。お父さんはスマートやった。騙されたんかね。」
墓が土砂崩れの被害を受けたため、幸雄さんの遺骨は今も宿の2階に置かれています。
天候に恵まれた21日。幸雄さんが好きだった真浦の海を見せることができました。
池田真里子さん:
「写真もいっぱい戻ってきたから、また楽しみながら見ます。生きていかないといけないからそれなりに頑張っていきます。」
大規模な土砂崩れで町が変わり果てた姿となった珠洲市大谷町。21日は公民館に献花台が設けられ、朝早くから住民が訪れていました。
住民:
「1年経っても見た通り景色が変わってしまって、豪雨を、見るたびに思い出して悲しい時があります。」
川岸百合子さん:
「我が家です。寂しいよね。」
去年の9月21日は珠洲市大谷町の自宅にいた川岸百合子さん。今は金沢で暮らしていますが近く、公費解体が始まる自宅を一目見ようと21日、大谷町に帰ってきました。
川岸さん:
「土砂まみれのうちでも建っているうちを見れるのは最後かなって出てきたの。更地になってしまうんだなと思ったら寂しすぎます。」
Q 解体した後はどうしたい?
「今はまだそこまで考えられません。まだ気持ちはなかなか落ち着くことはできません。」
そんな大谷町に、20日、子供たちの元気な声が響きました。
子どもたち:
「宣誓、少人数でもなんでもできる私たちは去年それを知りました私たちはそれを証明したい、4人でも最強だということを証明します。」
運動会です。
能登半島地震までは23人の子どもたちが通っていた大谷小中学校。地震と豪雨で今は全校生徒あわせ4人しかいません。
運動場には仮設住宅が建ち並び、会場は隣町にある施設の広場です。
それでも…町の人や先生たちとあわせ50人以上が集まりました。
テーマは「少数最強」
地震から1年8カ月あまり、人が少なくても絆と笑顔で地域に元気を与えみんなで苦難を乗り越えて来たからです。
競技は子どもたちがみんなで楽しめるようにと考えました。
子ども:
「これは大谷を知っている人が勝つ種目です。地域の人たちは余裕なのではないでしょう」「最初に海水を撒くようにサッカーボールをゴールに入れます。」
大谷愛溢れる競技で、子どもから大人まで笑顔でグラウンドを駆け回りました。
住民:
「いつもの形と違いますけれど行事ができるのは日常を取り戻したようで幸せになります。」
「子どもたちで発案して自分たちで考えたものを地域・教員、みなさん一緒にやるのは大谷地区ならではだと思うし、そういったことができるのが大変誇らしく思います。」
子どもたち:
「地震があってこういう状況でも地域の人がわざわざ参加してくれるっていうところとか、今も楽しそうにしてくれているのは、地震前と変わらないと思いました。」
「地域の人たちを笑顔にするというか、自分たちが楽しんで地域も元気になればいいな」
「思ったより人が多いですが、これでも少数なので、それでも最強なんですよっていうメッセージ」「少数最強って感じです。」
地震と豪雨の二重の被災でバラバラになりかけた住民たち。大谷の子供たちの笑顔がその心を一つにしてくれています。