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能登半島地震発生時に舳倉島にいた人は…

坂口剛(さかぐちつよし)さん。元日に島に残っていた一人です。舳倉島の島民は、ほとんどが年末の漁を終えた後、輪島へ戻り正月を祝います。今年残っていたのは、坂口さん含め3人。初詣を終えて島の自宅に戻った時、震度5弱の揺れが襲いました。

坂口さん:
「大した揺れじゃないけど、揺れが長かった。テレビちょうど付けてたら「大津波警報です」って言うもんで、ほんなら高台に逃げようと逃げたんだけど」

逃げる直前、坂口さんの妻が撮影した写真。すでに海岸沿いが津波に飲まれています。

たどり着いたのは、島の避難所になっている市立輪島病院の舳倉島診療所。

Q 当時はどうだったんですか?
坂口さん:
「何もなかったよ。電気がないもんで寒かったんや。どの部屋見てもエアコンとかで暖めるもんで、暖取れんげんて…」

島全体が停電していたため、家からストーブなどを持ってきた他、車中泊をして寒さをしのいでいたそうです。

荷物を取りに家に帰ると、冷蔵庫や棚が津波でひっくり返されていました。

Q(外部からの)連絡はどのように届いたんですか?
「北陸電力で月に一回、衛星電話を掛けるもんで、(1月)2日の日だったか、衛星電話あるから連絡とれるかなと思って見に行ったら、たまたま水に浸からずにあったもので、それで連絡したんですよ」

北陸電力の舳倉島発電所に設置されていた衛星電話。奇跡的に津波の被害がなく、これを使い連絡を取ることができました。

ただ、救出されたのは、地震から2週間たった1月14日。自衛隊のヘリで自宅に戻ることができました。

坂口さん:
「避難所はもっといいのにしてくれたらいいなと思う。電気しか使えないような暖取れるやつしかないし、発電機はあってんけど燃料は一日も持たんがいね。で、たまたまそれが動かんかってんてね…」

過酷な避難生活を経験した坂口さん。避難所に衛星電話などが無かった事から今後の整備を訴えます。

「衛星電話は固定式のいいものにしてくれればいいと思う。それで、役所にネットワーク組んでもらって、役所に電話かけたらどこの地区から電話来たっていうのが分かってくれれば対応が早いがいね」

撮影を終え、港に向かう途中、ある女性に出会いました。

島の民宿「つき」の女将で、海女でもある木村世紀子さん。津波でいくつかの建物が流され、大広間も波に浸かったそうです。市は舳倉島を見捨てたのではないかと悲痛な声をあげていました。

木村さん:
「輪島市はまだ舳倉島の罹災証明に誰も見に来ていないじゃない?ちょっと寂しいと思いません?ね。輪島が今、みんな大変なのでうちらも輪島の方にも家もあるので無理は言えないんですけど、やっぱりある程度落ち着いてきたら、もう4カ月ぐらい経つので、やっぱり島の状況も一回見に来て」

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