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TNC8チャンネル

「反対する人は、クビをかけて反対しているのか。」山田洋次
「型のある人がやるから型破り。型のない人がやったらそれは型なし。」中村勘三郎

9/13(日) 午後4:05放送

フジテレビ系列・全国28局ネット 制作著作:テレビ西日本
  • フジテレビ
  • テレビ西日本

放送は終了いたしました。ご覧頂きありがとうございました。
番組で紹介した言葉を掲載しております。こちらよりぜひご覧下さい。

言葉のチカラ -人生に奇跡を起こした珠玉のコトバたち-

出演:小倉智昭・武田鉄矢 尾木直樹 太田光代 肥後克広(ダチョウ倶楽部) 高橋真麻 ホラン千秋 厚切りジェイソン 橋本真衣(テレビ西日本アナウンサー)

人生の大切な瞬間には、いつも心に残る“言葉”があった―。

職場で、学校で、夫婦で、親子で…
さまざまなシチュエーションで話したくなる“言葉”とエピソードの数々を小倉智昭がご紹介します。

(上段左から)ホラン千秋、肥後克広(ダチョウ倶楽部)、尾木直樹、武田鉄矢、太田光代、高橋真麻、厚切りジェイソン(下段左から) 橋本真衣(テレビ西日本アナウンサー)、小倉智昭

(上段左から)ホラン千秋、肥後克広(ダチョウ倶楽部)、尾木直樹、武田鉄矢、太田光代、高橋真麻、厚切りジェイソン
(下段左から) 橋本真衣(テレビ西日本アナウンサー)、小倉智昭

誰にでも、心の支えになっている言葉があるはずです―。

悩んでいた時に優しく背中を押してくれた言葉や、日常の会話の中で言われた何気ない一言・・・、
周りの状況や当時の心境などが複雑に合わさって、言葉に力が宿り、その人の人生に深く関わっていきます。

MCは言葉のプロ!小倉智昭

MCは言葉のプロ!小倉智昭

ゲストも武田鉄矢はじめ個性豊かな面々

ゲストも武田鉄矢はじめ個性豊かな面々

番組では、著名人たちが残した名言を再現VTRなどを交えてご紹介し、
言葉が持つ「チカラ」を紐解いていきます。

またスタジオでは出演者自らが自分の人生に影響を与えた言葉を紹介します。
職場や学校、家庭の中で、明日誰かに話したくなる、そんな素敵な言葉の数々をお届けします。

ラインナップ

Line up

― ラインナップ ―

― 職場編 ―

1.山田洋次監督が言った、大ヒット映画誕生のきっかけとなった言葉

日本を代表する映画監督の1人、山田洋次。

その代表作の1つ、「男はつらいよ」は映画化の際、経営陣の反対にあい、実現が危ぶまれた経緯がある。
しかし、反対する会社の役員たちを前に言った山田洋次の一言が流れを変えた。

「僕はやると言った以上、失敗したら責任を取るつもりでいる。
反対する人はクビをかけて反対しているのか。」

この作品にかける自らの覚悟、
そして仕事に対する山田洋次の姿勢を表したともいえるこの一言がきっかけで、映画「男はつらいよ」は世に送り出された。

スタジオでは、山田がメガホンをとった作品の1つ「幸福の黄色いハンカチ」で俳優デビューした武田鉄矢が、撮影現場での思い出や今でも心に残っているという山田洋次の言葉を語るほか、40代のころ精神的に「追いつめられた」自分を救ってくれたという言葉を紹介する。

2.中村勘三郎が言った、新しい事にチャレンジする時に忘れてはいけない言葉

多くの人に愛され、惜しまれつつも2012年に57歳という若さで亡くなった、歌舞伎役者18代目中村勘三郎。

「夢があるなら口に出しなさい。実現するから」と語り、
平成中村座など自らもさまざまなことに挑戦した中村勘三郎が残した、基本の大切さを伝える言葉。

「型のある人がやるから型破り。型のない人がやったらそれは型なし。」

歌舞伎界の伝統を守りながらも、常識を破り続けた18代目中村勘三郎だからこその言葉。

何か新しいことを始める際に心にとめておきたい一言だ。

3.スティーブジョブズが、仕事に対する姿勢を示した言葉

彼は部下に対して常に激しい言葉を投げ続けたという。
あまりにも強引なワンマンぶり。
それでも部下たちは必死にジョブズの要求に応えようとした。

それほど彼は部下たちの尊敬を集め、
何より、ジョブズが誰よりも仕事に打ち込む男だったからだ。
2001年、iPodの発表会で、ジョブズは仕事に対する考えを表したこんな言葉を残している。

「iPodは自分たちのために作ったんだ
自分のため、あるいは自分の友達や家族のために努力するなら
いい加減なことはしない」

この言葉で、ジョブズは世界中に自分たちの仕事に対する姿勢を示したのだった。

― 学校編 ―

4.ビリギャル原作者が言った、苦手な人を好きになる言葉

勉強しているときに、遊びの話をずっとしてくる友達にストレスを感じ、
勉強が進まなくなっていた。すると、坪田先生がこんな言葉を言った。

「その子の良い所を無理にでも10個、紙に書き出してごらん。」

最初は筆が進まなかったものの、思い出し書き出していくにつれて、
イライラしていることがすごく申し訳ない気持ちになり、ストレスが解消されたのだった。

5.指原莉乃が言った、自信の持てない人に勇気をくれた言葉

2015年6月に行われたAKB選抜総選挙。
彼女が受賞後に語ったスピーチは自信を持てない人が勇気をもらえる言葉だった。

「私は落ちこぼれです。選ばれた人間ではありません。
全国の落ちこぼれのみなさん、
私の1位をどうか自信に変えてください。」

6.王貞治が言い続けた、ひとりの選手を大ブレイクするきっかけとなった言葉

2010年のドラフト会議。
2位指名の直前、王会長からこんな一言が飛び出した。

「この候補の中で打球を一番飛ばすのは誰だ」

この言葉をきっかけに本来予定していた選手をやめ、柳田悠岐選手を指名することに。
まだ全国的にも無名の存在で、好不調の波が激しく、凡退を繰り返すことも多かったがパワーだけは桁外れ。
まさに王会長が言った打球を一番飛ばす男だったのだ。
入団後もホークスの厚い選手層の壁に阻まれ、中々1軍に上がることができなかった。
そんなときも王会長は打撃コーチにある言葉をかけていた。

「とにかくフルスイングさせてくれ」

柳田の欠点を直すことよりも、とにかく自慢のパワーを磨くことだけを指示。
2014年その才能が一気に開花し、自身初のベストナインにも選ばれた。
欠点だけを指摘するのではなく、長所を伸ばそうとする王会長の言葉は
現在の教育現場でも活かせる重要なメッセージがあるのではないだろうか。

― 夫婦編 ―

7.ヒラリー・クリントンが夫に向かって言った、かっこよすぎる言葉

第24代アメリカ合衆国大統領 ビル・クリントン。
彼が大統領時代、夫婦でヒラリーの故郷を訪れた際、偶然立ち寄ったガソリンスタンドのオーナーはヒラリーの元恋人だった。

それを聞いたビルはこんな冗談を言った。
「ヒラリー、僕と結婚して良かったね。もし彼と結婚していれば君は今頃田舎のガソリンスタンドのおカミさんだ」

それに対しヒラリーは、こんなかっこよすぎる言葉を言ったのだった。

「違うわビル。もし、私が彼と結婚していたら、
彼が大統領になっていたわ。」

8.アガサ・クリスティが結婚相手について語ったおしゃれな言葉

“オリエント急行の殺人”や“そして誰もいなくなった”など、世界的に有名なミステリーの女王 アガサ・クリスティ。
彼女が13歳年下の考古学者マックス・マローワンと再婚したときのこと。
当時、夫が年下の夫婦は珍しく世間を賑わせた。そんな彼女が記者たちに、夫についてこんな言葉を語った。

「女性にとって最良の夫は考古学者よ。
なぜならば妻が歳をとればとるほど夫が興味を持ってくれるから。」

その言葉通り、二人は生涯仲良く暮らしたという。

9.伊藤伝右衛門が言った、男気あふれる言葉

NHK朝の連続テレビ小説“花子とアン”。
その中で描かれた伝助と蓮子の物語は実話をもとに作られていた。
伝助のモデルとなった伊藤伝右衛門は、一代で莫大な財産を築きあげた炭鉱王。
その妻・蓮子のモデルとなった白蓮は大正天皇の従妹という身分。

東京から遠く離れた九州(福岡県飯塚市)の地で、不安な白蓮に心地よく暮らしてもらおうと尽くした伝右衛門。
しかし、結婚から十年後に、白蓮は突然駆け落ちし、新聞に白蓮から伝右衛門への絶縁状が掲載された。

新聞にも絶縁状が載ることで全国に恥をさらされ、周囲も大激怒する中、
親族や会社役員の前で彼が言った言葉が、彼の器の大きさを示す言葉だった。

「この俺が一度は惚れた女たい。
絶対に手出しは許さん。
この件については末代まで一言の弁明も無用。」

この一言のおかげで白蓮は罪に問われることなく、新しい生活を送ることができたのだった。

― 親子編 ―

10.吉田沙保里の父が言った、吉田のピンチを救った言葉

2008年、北京オリンピックを7か月後に控えた国別対抗戦W杯。
それまで公式戦119連勝の強さを誇った吉田沙保里が、アメリカの無名選手に実に7年ぶりの敗北を喫した。
人目をはばからず泣きじゃくる吉田。
そんな彼女を救ったのは父・栄勝さんの言葉だった。

「すぐに実家に帰って来い!
今日悔しくて、明日忘れるバカもいる。
明日になっても忘れない悔しさを持って来い。」

この悔しさが自分のレスリングを改めて見つめ直すきっかけとなり、7か月後北京五輪で見事金メダルを獲得したのだった。

11.父・高橋英樹が高橋真麻にかけた仕事に対する気持ちを変える言葉

フジテレビのアナウンサー時代のこと。
誰でもいい若手女子アナという仕事ばかりが回ってくることが多く、
落ち込んでいた時期があったとき相談した相手が父・高橋英樹だった。
彼が真麻にかけた言葉は、仕事に対する気持ちを変える言葉だった。

「誰がやってもいいという仕事こそ、一生懸命やりなさい。
そうしたら今度は真麻にお願いしようってなるから。」

この言葉がきっかけで、どんな仕事も全力で臨んだ真麻は徐々にその存在が浸透し、なくてはならないアナウンサーとなった。

12.『はなちゃんのみそ汁』より亡き妻が生前言った言葉

福岡県に住む安武信吾さんと千恵さん家族の実話の物語「はなちゃんのみそ汁」。
2002年、乳がん治療を終えたばかりの千恵さんは命がけで生むことを決断し、翌年2月に“はなちゃん”が誕生した。
幸い千恵さんの体は無事で、幸せな毎日を送るのだった。

しかし、2006年の冬。がんの再発が発覚し、はなちゃんが4歳の誕生日を迎えるころから、味噌汁の作り方を教え始める。
そしてはなちゃんが5歳になった年の2008年。千恵さんは33歳という若さで天国へ旅立った。
このとき、はなちゃんは一人で味噌汁を作れるようになっていた。

千恵さんは生前、はなちゃんが出かけるときに必ずしていたことがあった。
それは満面の笑顔ではなちゃんを抱きしめる事。

「人間はいつ、どこで最期を迎えるかわからない。
喧嘩別れしたまま、顔を見ないまま、生き別れたら、
後悔してもしたりない。」

中学生になったはなちゃんはいまも、毎朝5時に起きて、父信吾さんと一緒に朝食をつくっているという。
朝食を終え、はなちゃんは学校へ。すると、ハグとまではいかないものの二人は笑顔でハイタッチをして出かけていった。
千恵さんの言葉は、7年経ったいまでも2人の心の中で生き続けていた。

Cast

― 出演者 ―

  • 小倉智昭

    小倉智昭

  • 武田鉄矢

    武田鉄矢

  • 尾木直樹

    尾木直樹

  • 太田光代

    太田光代

  • 肥後克広(ダチョウ倶楽部)

    肥後克広(ダチョウ倶楽部)

  • 高橋真麻

    高橋真麻

  • ホラン千秋

    ホラン千秋

  • 厚切りジェイソン

    厚切りジェイソン

  • 橋本真衣(テレビ西日本アナウンサー)

    橋本真衣(テレビ西日本アナウンサー)

スタジオでは武田鉄矢、尾木直樹、太田光代、肥後克広がそれぞれ、職場、学校、夫婦、親子で
大切にしている言葉を紹介します。どれも人生の大事な局面で力を発揮した言葉ばかりです。

このほかにも、ヒラリー・クリントンが大統領時代の夫に言い放った痛快な一言や、福岡ソフトバンクホークス・王貞治会長の、スターを生むきっかけとなったドラフト会議での一言など、珠玉のエピソードの数々をご紹介します。

Comment

― MC : 小倉智昭 ―

『智昭、夢は持つな、夢は夢で終わることが多い。目標を持て。』

小学校5年生の時に父親から言われ、今も重く心に残る言葉です。言葉は人間の生き様です。
ただ、言葉そのものだけを字面でとらえても面白くはなく、なぜこの言葉が生まれたのかという脈絡があってこそ、
言葉に力がでてくるものだと思います。
今回は紹介する1つ1つの言葉について、再現VTRや写真などでその時の状況などを丁寧にお伝えしています。
ご覧になっていただければ、きっと楽しんでいただけると思います。

タイトル 『言葉のチカラ -人生に奇跡を起こした珠玉のコトバたち-』
放送日時 2015年9月13日(日)午後4時5分~午後5時20分 フジテレビ系全国ネット放送
出演者 【MC】
小倉智昭、橋本真衣(テレビ西日本アナウンサー)

【スタジオ出演】
武田鉄矢、尾木直樹、肥後克広(ダチョウ倶楽部)、太田光代、高橋真麻、ホラン千秋、厚切りジェイソン

【スタッフ】
プロデューサー 瀬戸島正治(テレビ西日本)
制作著作 テレビ西日本
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